3月11日 地震当日 (一部)

2011.06.15.16:34

朝はいつも通りにご飯を食べて、いつも通りに出勤しました。
妻は遅番だったので、まだ雅人と一緒に寝ていました。
行きがけに寝室を覗いて、気持ちで「行ってきます」っと言って。

雅人はいつも通りにお母さんが迎えに来てくれて閖上の実家に行き、
妻もいつも通りに出勤しました。

地震発生時は泉区の山奥の方で、車から降りていた時です。
携帯の緊急地震速報がけたたましく鳴って、地響きか地鳴りが続いた瞬間に
野鳥やカラスが一斉に飛び立ちました。
僕は、電信柱や電線が落ちてこなさそうなところで手膝をついて地面に伏せました。
直後にもの凄い揺れが襲い、延々に止まらずに揺れ続きました。
5分ぐらいもの凄い揺れが続いたので、地球の終わりかとほんとに思いました。
揺れがおさまり、これはただごとではないと感じたのですぐに
自宅方面に向かいました。
少し走ったら前が渋滞になったので、慌てて転回してナビを見ながら
大回りして市街に向かいました。
ですが、通りが大きい道は信号機が壊れているせいで通過するのが難しく、
混雑して時間がかかりました。
地震発生時に妻や実家に電話しましたが繋がらなかったので通信は
諦めていたのですが、15分後の15時ごろに大阪の友人から
心配のメールが届きました。
メールで答えると、すぐに返事が届きました。
それで妻にも届くかも、届けばいいと思いメールしました。
そうすると、タイムラグがありますが、何とかメールの行き来はできました。
実家のお母さんと雅人は大丈夫か?と聞いたところ、大丈夫との返事が来たので
一時安心はしました。
このときになんでお母さんにメールを送らなかったか悔やんでいます。
これを書いている今気づいたのですが、大阪の友人や親兄弟にもお母さんに連絡を取ってほしいと言えてればと思いました。

この後妻にメールを送っても、ほとんど送れなくなってきました。
はじめは、中心街を通るので妻を乗せて帰ろうと思っていたのですが、
だんだんと心配が増してきたので高速に乗って閖上の実家に行こうと思い、
乗り口が一番近い泉スマートICから乗ろうとしましたが、
道を曲りそこなったので、時間ロスになるので諦めました。
道情報と地震情報を取るためにナビとテレビを交互に見てたら、
ありえない光景が映っていました。仙台空港が津波で呑まれる映像です。
空港がそうなら、閖上の実家にもが絶対に来ているはずと思い、
何べんも妻にメールしました。 けれどなかなか繋がらない。
この時点ではと書いたのは、床上浸水、悪くて一階が水没ぐらとしか思っていなかったからです。
やっとの思いで県庁を越えると、バスを待つための群衆と諦めて徒歩で帰る人の
長蛇の列でいっぱいでした。
妻の会社付近に着いたのですが、メールがダイレクトじゃないので
探すのは手間取りました。
それまで雪なんか降っていなかったのに大粒のベタ雪が降ってきて
、寒さに追い打ちをかけてきました。
やっと会えてからは、状況を妻と義弟と友人で交換共有しながら帰宅しました。
18時を回ってたと思います

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3月11日 地震当日(二部)

2011.06.16.17:36

着いて2階に上ろうとしたら、1階の玄関が開けっ放しでぐちゃぐちゃでした。
みんなアパートから死にもの狂いで逃げ出した感じがしました。
自分ちも、想像以上に悲惨な状態でした。
ドアを開けると靴箱の中や上の物も全部落下してて、足の踏み場がありませんでした。
当然のように電気はつきません。
入って右の洗面所、風呂場も同じ。
寝室もぐちゃぐちゃ、かろうじてタンスとクローゼットと壁を転落防止用で
連結させてたので、斜めに倒れてて破壊は免れていました。
居間に入るとテレビ、タンスは転倒してて、PCはラック上のプリンターが
何故かモニター棚に納まってたのでギリギリ破壊は免れてました。
買って3ヶ月の42インチの液晶は、サイドのタンスが倒れた所に落ちたので
2か所だけ画面に傷がつきましたが、セーフでした。PCモニターも同じ。
台所は冷蔵庫の中身が全部落ちていました。システムキッチンの戸棚の中の物も
ほぼ全て落下していました。
水屋は真ん中の一部以外は観音開きなので、食器類は90%粉砕でした。
大阪の家からいっぱい持ってきてたので、10人家族分ぐらいはありました。
レンジ、オープンも落下してましたが、原型は留めていました。
家電、電化製品は、停電が解消してからのチェックになりましたが、
何とか無事でした。
足元は油とお茶、調味料と粉々の食器が散乱してて、何が何か
わかりませんでした。
片づけするほど余裕もなく、戦意喪失する状態だったのですが、
冷蔵庫の落ちたものだけしまうことにしました。

南仙台で働いている義弟から閖上の実家に行ってみるとの連絡が入り、
僕らも行く準備をしました。
ガス栓を止めて、ブレーカーを落とし家を後にしました。
海側の閖上大橋を渡っていけば10分で着くので発進して2,3分のところで
おじさんに制止されました。この先には行けない、水が来ていてて自分の
家にも行けないと言われました。
確かに闇になろうとする暗さでも、田んぼに水やごみがあるのを見ました。
そうこうすると義弟から電話が入り、名取IC前のミニストップで警官に
立ち入り禁止と言われていけなくなっと連絡がきました。
大津波警報が出ていることと、その先は津波で海水が
充満しているとの理由からでした。

僕と妻はいったん避難所を探しに近くの小学校に行くことにしました。
六郷小学校にいき、簡単に案内されたのは3階にでした。
大津波警報のためだそうです。
教室の一つに入ると結構いっぱい人がいてて、二人で1.5畳ぐらいしか
スペースがありませんでした。
最初に来ていた大家族がビニールシートを大きく敷いてたからでしょう。
そういえば昼から何も食べていないので、配給がないか聞きにいったら、
ペットボトルの水一本と半膳ほどの混ぜご飯でした。
お腹が空いてたわけじゃなかったので、半分を残しておきました。
寒さをしのぐ毛布等がが配給されてなかったので、アパートに戻って
毛布2枚と座布団を持ってきました。
ですが、異常な精神状況と場所で寝れるわけがありません。
同じ教室にいた、じいちゃんばあちゃんも差し入れの毛布1枚を
二人でひざ掛けにしてただけで寒そうにしていて寝れないようでした。
僕と妻はここを離れてアパートに戻ることにしました。
可愛そうなじいちゃんに毛布1枚をあげました。
後からきた背広姿の人にも何もなかったので、座布団をあげました。
大阪から出張にきて震災に巻き込まれたそうです。
僕も大阪出身ですと普段なら言いますが、こんな所で話に花咲いてもと
思って言わずに別れました。
アパートに帰る途中に、「もしかしたらこっちに避難しているかも」っと
妻と話ましたが、きていませんでした。

部屋に入って、懐中電灯や避難用具を準備して車にも積みました。
寝室から布団を一組だけ居間に持ってきて敷きました。
スペースの確保が今はこれだけしか取れなかったので。
寝ようとしましたが、寝れなくてだんだんと心配が増してきました。
義弟は市役所で状況を取りに行ってましたが、何も手がかりが
掴めなかったので、いったん会社近くで寝るために帰りました。
それを聞いて、美田園の方からならあぜ道を通って行けるかもしれない、
行けなくても行こうと思って出発しました。
家を出て1,2分のところで警察官が道を封鎖してたのですが、
何も言われずに通過できたのでおかしいと思って、警官に話をしました。
道が陥没してて危ないからだろうと思ってたのですが、
大津波警報が出てるので入れないように封鎖している、
これで出ていくと戻ってはいけないと言われたので、泣く泣く
家に帰りました。
帰ってから休もうとしましたが、いつでも逃げれるようにダウンジャケットも
着たままの外着のまま、二人より添って布団に包まりました。
妻は「雅人はぜったい大丈夫でしょう???」と言い、
僕は「絶対にだいじょうぶ!」と言い合いながら、1,2時間ぐらいの
短い睡眠に入りました。

:6/20追記




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3月12日 地震2日目(一部)

2011.06.19.13:36

寝れたか寝れてなかったのか、窓の外が青くなってきたので朝が来たんだと思いました。
電気、ガスはダメでしたが、奇跡的に水道だけ生きていました。
でも、いつ止まるかわからなかったので、風呂に貯めることにしました。
ですが、風呂にはシャンプー、石鹸などいろんなものが水没してたので、
洗いから始めなければなりませんでした。
生きていた冷蔵庫の中身をクーラーBOX2台に移して、食糧の保存に備えました。
気温も低くて、クーラーBOXも真空のクーラーを持ってたので、冷凍物も停電終わりまでなんとか腐らせずにすみました。BOX
水を溜めて、冷蔵庫の中身を移して、雅人のミルクと衣類、おもちゃを準備して
名取市役所に向かいました
朝から小一時間ですが、水と食料の備えが出来たのは、無事を絶対に信じていたからだと思います。


自宅を出る時にドアに張り紙をしておこうと妻に言いました。
大好きな雅人へ
ちょっと出かけてるので、中で待っててね。
大好きなママと、とうちゃんより


朝何時かを覚えていませんが、けっこう早い時間に到着しました。
この時点では道は混んでなかったと思いますが、信号機が全滅だったので交差点は恐る恐る通過してました。
市役所の中はまだ混雑はしていませんが、見渡すとそこそこいます。
役所内は、非常用の発電があるのか、電気がついていてトイレも使えました。
まず避難者名簿を探しましたが、避難所のおおよその人数のみで、
まだ名前はなかったです。
閖上から避難するなら、閖上小学校、中学校と公民館ですが、まだ何も情報がない。
今は情報が入るまで待つしかありませんでした。
携帯の電池が危うくなってきましたが、用意してくれてた充電コーナーは満杯で使えません。
探し回ってコンセントを見つけ、予備電池と交互に充電していきました。
たまに通る職員に状況を聞きにいくが、小学校や中学校に避難者は多数いるぐらいしかわからないとのことでした。
いつごろかやっとおおよその避難者数が書き出されました。
何百人もいることを知り、だいぶホッとしました。
ですが、公民館のことは全く書いてなかったので、どうなっているのだろうと思っていたら、公民館にいる妻と話をしたという男性の話を聞くことができました。
二階建てで海に近いのでもしかしたらダメじゃないかと思ってたのですが、数十人は避難していることを知り、ホッとしました。実家から一番近い避難所だったからです。
小学校と中学校のおおよその避難者数が数百人いると知り、安心度は増しました。

ですが、公民館の話が一切ないので避難している人がいることを教えて、情報を知りたいので調べてほしいと懇願しました。
そうこうしていると閖上地区に行ってきたと言う人がやってきて、状況を話してくれました。
腰まで水につかりながら、小学校と中学校付近を回ってきて、公民館にも生存者がいることを教えてくれました。
職員の次の発表で、小学校まで何とかいけるようになったので、今名簿を取りに行っているからもう少し待っていてほしいとのことでした。




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3月12日 地震2日目(二部)

2011.06.19.18:28

妻の長男夫婦(だいちゃん)が市役所に到着。
これまでの経過説明と、だいちゃんの友達からの話の情報交換。

「どこに逃げたか」「絶対に逃げてるはず」「前の地震でお母さんは雅人と
一緒に公民館に避難したって話を聞いたから大丈夫」
 
  もしものことを否定するためにそう無事だと言い合ったのでしょうか

だいちゃんの同級生と出会い、そちらとも情報交換する。
しばらくは、こんなやりとりと職員と市民との話に耳を傾けて過ごしていました。
午後になったであろう、だいぶ過ぎたのか時間の感覚がなかったと思います。
小学校の避難者名簿が到着、張り出される。
目を凝らし何度も探すが、雅人、お義父さん、お義母さん、義祖母の名前を
見つけることができませんでした。
実家から一番近い避難所は公民館、ちょっと先に中学校なのでどちらかであろうと
だいちゃん夫婦とともに何度も話す。
昨晩から、避難所で雅人が泣いていたら他の人の迷惑になってないか、
ちゃんとミルクやおもちゃを持って避難しているか心配する話を何度か妻としていました。

やっと、閖上中学校に自衛隊が到着したとの連絡が入りました。
しばらくすると、小学校から救助が始まったと、そして中学校、公民館と
続くという話が耳に入ってきました。

だいちゃんたちは救助された人たちが避難する、館腰小学校に向かって、
私達は新たな情報のために待機していました。
もうすぐ会えると絶対に思っていましたが、中学校の避難者名簿にも名前がなく、次第に不安が出てきました。
しばらくしてだいちゃんが帰ってきましたが、まだ救助された人が運ばれてきてないので
戻ってきたとのこと。
新たな情報が入り、現在館腰小学校に順次避難しているが、道が突起したり陥没しているために途中から歩かなければいけなくて、体の不自由な方やお年寄りは名取一中に避難しているとの連絡が入りました。
寝たきりの祖母がいるので、一中に行っている可能性が高いと思い、私達で向かいました。
しばらく待っていると小さな消防車、ミニバン、マイクロバスが次次と到着してきました。
校舎前や運動場、裏口といろんなとこで降ろされていくので、その都度追いかけて
降りる人を確認していきました。
何度も繰り返すが、一向に見つけることができません。
もう到着がないことを聞くと、見逃した人がいないか、避難されてる教室を回りながら、
公民館の情報と家族を知らないかと聞きまわりましたが、返答はありませんでした。
携帯がメールでさえ通じないため、だいちゃんたちの行動がわからないので、
館腰小学校に向かうことにしました。
こちらは体育館が避難場所になっていたのですが、電灯が明るく付いていました。
中の檀上には食料や飲料、避難グッズが山積みになっていて、無差別に配給していて、
一人3食分ぐらいもらいました。
前日から孤立していた避難者がくるので、救援物資が集まっていたんでしょう。
一中なんて、食料も毛布も明かり何もなかったです。
避難している人々を妻と別々に探し回りましたが、いません。
気が遠くなってきた感。。。
いったん市役所に戻ろうとして、一中を経由してむかう。
教室をお父さんとお母さんの名前を呼びながら周るが、返事はない。

市役所に戻るとだいちゃんたちと会えました。
状況、情報を交換。
館腰小学校に入れなかった人たちが名取二中に行ったと聞き、一緒に向かう。
二中に行くもまだ誰もきていないので、他を回ることにした。
ほんとに真っ暗闇で、だいちゃんの車についていくが何処を走っているか全然わからない。
名取北高校、仙台高専、集会所、増田西公民館、
増田小学校、文化会館、
どこにも居ない。

二中に行ってみるが、誰もきていない。
妻は「雅人はだいじょうぶよね。大丈夫よね。」
と、嗚咽を漏らしながら僕に繰り返し聞いてきます。
大丈夫、大丈夫やよっと答えるしかありませんでした。


いつの間にか、0時を過ぎていた。
もしかしたら仕事場に行ってるかもしれない、仙台鮮魚の卸売市場で
働いてるお父さんが出勤する時間なので行ってみようとだいちゃんが言い、
4号バイパスを走って仙台方面に向かう。
真っ暗闇でヘッドライトが照らしたとこ以外、何も見えない。
どこまで走ればいいか宛のないように感じる。
何とかだいちゃんの車についていき、市場に到着。
真っ暗闇の市場。ぐるぐる回っても、たまに待機しているトラックが、
1台2台あるだけで闇のまま。今日は当然開かないでしょう。
諦めて明日また市役所でと言って別れ、帰路に向かう。
アパートも周りの住居も誰もいない、ゴーストタウン。

何をするまでもなく、昨日と同じように着のみ着のまま布団に入り、
雅人の身を案じながら、短い眠りに入りました。

:6/21、6/20追記
                                                                        ブログランキングに参加しました。                                                                東日本大震災を風化させないようにしたいので、クリックしていただければ幸いです m(__)m                                                                                                                                        にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ                         
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3月13日 震災3日目 (一部)

2011.06.21.15:00

おそらく疲れてるあろう身体、精神も心配と不安で隠れてるんだと思います。

眠くはないですが、はっきりとしない意識のまま起きて、顔を洗いました。
 しばらく、ずっとこんな感じの目覚めが続きました。
連日、朝から深夜まで出ているので、部屋は震災直後のままのぐちゃぐちゃのままです。
今朝は、六郷小学校に朝食の配給に行ってみました。
配給が始まるまで、携帯の充電コーナーで充電をしていました。
妻も僕も携帯の電池は新旧があるので2個ずつと、外部充電池が一つあったので
この小学校と市役所と車で充電をしてしのいでいました。
充電コーナーに新聞があったので、震災以来初めて見ました。
と言っても読む気になれないので、一面を見ただけです。
昨日、チラッと聞いた原発が危ないようなことが書いていました。
大阪の友人や親から電話が来ますが、電池がもったいないので、
メールでしか返事を返しません。
その中に、「原発がヤバイから、いつでも逃げれる、こっちに来れるように
ガソリンを満タンにしとけよ!」と書いてきてました。

こっちは、息子と3人もまだ消息不明なのに帰れるわけない。
ガソリンスタンドも開いてないのに補給なんかできない。

それぐらい気づいて、言ってほしい。。。

並んで朝食をもらったのは、おにぎり、バナナ、みかんを一個ずつでした。
館腰小学校だけ特別です。。。
その後、仙台市若林区役所に行ってみました。
名取閖上の河川を挟んで隣りの街なので、こちらの情報を知りたいと思って
きたのですが、閑散として電灯もついていませんでした。
避難者の受け入れもされていない。
地震直後に荒浜で100名~200名の遺体が上がったっと被害の第一報が
入った若林区の区役所ですよ!

日曜日の役所と同じ。休日当番みたいな職員がいたので、避難者リストはないのか?
と聞いたのですが、ないとのこと。荒浜のことがあって大変なのかなと思い、
他の区や本部の市役所に行っても同じじゃないかと言われました。
数日後に行ってもちゃんとした対応になっていませんでした。
名取市役所は、被災した職員も総出で寝る間も惜しんで対応しているのに
仙台市及び市長は何をやっているんだって今でも不信感を持っています。

妻の従妹(お母さんの姉の娘)に連絡に取れて、会いにいくことにしました。
妻は叔母さんに会いたかったからです。
水、ガスが止まってたので、親戚のうちにお世話になってるそうでそちらに行きました。
温かいご飯を用意してくれてたので、食べれないかなっと思ってましたが全部いただけました。ひさしぶりに食事をした感じです。おにぎりまで頂いて、ほんとありがたかったです。
携帯の電池を満充電にして、名取市役所に向かいました。

市役所では、昨日よりは避難者名簿が見やすくなっていましたが、
探しても探しても家族の名前は書いていません。
伝言掲示板がなかったので、昨日妻が勝手に入り口のドア付近に
伝言掲示板と貼って、
雅人や父母へのメッセージと安否、情報を知っている人がきたら連絡がほしいと書いて紙を貼っておきました。
そうして今日来てみると、入り口付近に他の人の連絡、メッセージがビッシリと貼ってありました
連絡掲示板が勝手にでっかくなってました。。

この後、岩沼警察に行くことにしました。
昨日聞いた話でヘリで助けられた人は、いろんな先に搬送されてるので
その搬送先を聞きにいくためです。

:6/22追記
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3月13日 震災3日目(二部)

2011.06.21.20:05

タイトルが地震から震災になってるのは間違いではありません。
地震だけの被害じゃないことをこの3日目にして見、知りました。

名取市と岩沼市を管轄している岩沼警察に着き、避難者情報がほしいんですと聞くと、
ライフラインがダメで何もわからないとのことでした。
諦めて出ようとするときに逆に警官から質問されました。
私たちが若林区在住と知って「自宅付近の被害、津波はどうですか、
噂で区役所付近まで浸水したと聞いたので、自宅が近いので心配なんです」
と聞かれました。大丈夫ですと教え、だいたいの被害地域と情報を
伝えると安堵されてました。家族とまだ連絡が取れていないからと
言ってました。 震災で帰宅できなくなっているんだ。。

岩沼警察署から近い避難所(小学校)には閖上から避難することはないと思うのですが、
ちょっと回り道をすれば寄れるので、確認のため美田園の下増田小学校に行ってきました。
4号バイパスから平行している脇道に入ると、田んぼに水が入ってました。
まさかと思いましたが、ゴミや木が流れ混んだのを眼のあたりにすると
津波の水がここまで来たのか、信じられない気持ちになりました。
妻は見たくないと目を背けました。
美田園地区は新たな開発で土壌もしっかり整備したおかげで、地面や建物の
被害はなさそうでした。浸水も足首ぐらいだったように思えます。
下増田は隣接してますが被害が多数で、下増田小学校の一階も浸水したらしく、
二階以上に避難者がいました。
やはりここにもいなかったですが、誰かに自衛隊に助けられた人は霞目駐屯地の
病院にいると言ってました。市役所でも同じことを聞いたので、少しは安堵しました。

ここからです
今朝出発する前に倉庫から釣りに使うウエダー(胴長)とブーツを積みました。
それは、閖上地区に行こうと、行けたら行くと考えていたからです。
普通なら下増田から閖上まで五分ちょっとのとこです。
裏手側の道、県道10号線からなら行けるかもと考えて進んでいくと、
片側一車線の道に自動車とトラックがひっくり返しになってたり、
縦や横に立ってたりしていました。電柱やガードレール、大木、家や倉庫の一部、
看板や漁船、クルーザーが道路の上や両側の道の下に重なり合っていました。

海外での竜巻の被害みたいにです。
自動車やトラックが立ってたり、横向いてたり、裏返ってるのは、
自衛隊が救助車両を通す道をつくるために無理やりにどけたからでしょう。
どちらかの車線だけ走行できました。
どこかで封鎖や立ち入り禁止になるかなと思っていましたが、
そんな人員を回す余裕がないのと、まだ人が入っていないからでしょう。
道の脇、車の壁の隙間から見える風景は、道をふさいでる人工物や海や山の物が
汚い沼かに浮いている、沈んでいる風景でした。

どんな状態、風景かとあえて例えるなら、
竜巻と洪水が起こった
どちらもテレビや新聞でしか知らない被害ですが、これしか言いようがないです。

ローソン前の交差点まで来ました。
車や船が散乱していますが、車を駐車場に停めることにしました。
消防車が何十台も付近で待機してて、レスキュー隊も大勢いました。
車を降りて唖然としたことがあります。
ローソンの店内にガラスを突き破って車が3台入っていました。

妻は県道に入ってすぐの惨劇をみてから、ずっと号泣しています

絶望海側の閖上地区を見ると、見渡せるんです。
トラックの荷台にでも乗れば、海まで見えるんじゃないかと思えるぐらいに
何もない。

バス通りに半壊、全壊の家々が見えるのと、閖上中学校、公民館ぐらいしか見ない。

覚悟を決めて行こうとしました。泣き叫んでいる妻に待っているかと尋ねると「行く」と。
携帯電話は持ってても圏外のため使えないので置いていこうと妻に言いました。
この惨状を撮ることなど出来ないからです。
ウエダ-を履いて、妻にブーツを履かせて歩きだしました。
妻も覚悟したのか、号泣から嗚咽ぐらいになりました。
アスファルトだった道は足首の上まで泥と海水で埋まってしまい、
滑りそうになり、こけるそうになるのをこらえながら、妻を支えて歩きました。

思い出す、書くのがしんどくなり、いったん休止します。
今日、明日、あさってには再開します。


:6/22追記

                                                                        ブログランキングに参加しました。                                                                東日本大震災を風化させないようにしたいので、クリックしていただければ幸いです m(__)m                                                                                                                                        にほんブログ村 その他生活ブログ 東日本大震災・震災復興へ                         
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3月13日 震災3日目(三部)

2011.06.22.17:12

妻のmixiの日記から引用します。

閖上を歩き始める
変わり過ぎている景色にまた涙が止まらない
嗚咽しながら歩く

何もないよ
何もないよ
何もないよ
何もないよ
何もないよ
言葉がこれしか思いつかない
何がどうなればこうなるのか、全然全然全然わからない
理解できない
頭が痛い
涙が止まらない

何もない

目印となる道路や微かに残っていた建物を目安に実家を探す
探す
探す探す
探す
風景が違い過ぎてわからない
表現不可能な惨状

実家付近に着いてから一時間半
やっと見つけた
実家の…
跡地

実家の隣に借りてる駐車場から玄関まで、歩きやすくするためにブロック塀でお父さんが作った階段が少しわかる
数年前から、夏はトマトやなすやきゅうりなどでいっぱいにしてた小さい小さい菜園の囲いの跡
玄関の床もなんとなくわかる
あとは基礎だけ…何もない
でもこれだけでも嬉しかった
家の基礎があることが嬉しい…二度と味わいたくない喜び

実家にあったもの、お父さん、お母さん、雅人のもの、私たち家族の思い出が何かないか必死に探す
そしてまた現実を知る
何も何も何も何も何も何もない

実家跡地にはうちのものは何もないんだという現実を受け入れ、波にさらわれたと考えてまたあちこちをさまよう



しばらく途方に暮れていると、
「読売新聞の記者ですが、話を聞かせて頂けないでしょうか」
と声を掛けられました。
僕は興味本位で声を掛けてきたのであろうと思ったのと、そうじゃなくても話す気力はなかったので、妻に同意を求める感じでどうする?と妻の方に振り返ったら、
「閖上のこの惨状を必ず報道してくれるのなら」と記者に言ったので話をすることになりましたこれが初めての取材になります。

かれこれ、閖上に来て三時間ぐらいになり、車へ戻りかけたところに
自衛隊の方たちが、ローラー作戦のようにして捜索をしていました。
近くの人に、自衛隊に救出された人たちはどこへ行ったのか尋ねました。
ですが、部隊が違うのでわからない、閖上に入るところに消防隊がいるので
そこで聞いてほしいと言われました。
ぬかるみは泥に足を盗られるので、瓦礫、大木、サッシ、布団や倒れた壁の上を上ったりして戻りました。
瓦礫などが少なくなってきた所で、救助犬を連れたレスキュー隊が続々と捜索に向かい始めました。
入り口の交差点に居た人たちは消防団の人たちしかいませんでした。
知らないだろうと思いましたが、やっぱり知らなかったです。
こちらが興味本位で見に来たと思われたんでしょう、ぶっきらぼうに「ここにそんな情報はない!」っと言われました。

だいちゃんやもう一人の東京にいる義弟(ようちゃん)とも圏外で連絡が全然取れてなかったので、取りあえず市役所に向かう。
市役所の三階の総務に向かう。
途中に自衛隊の仮の本部らしきところがあり、救助された情報がないかを聞いたのですが、知らないし、そんなことを誰から聞いたのかと言われたのでもう言いと言って総務に行きました。
総務のところで担当に見える男性職員の応対がほんとにいい加減だったので、
こっちは気が立ってたので言い合いになってしまいました。
女性職員が仲裁に入ってくれたので、なんとか収まりました。
調べるのに30分待ってたのですが、わからないとのこと。
でも、消防署に行けば搬送先がわかるかもと言ったので行くことにしました。
だいちゃんに連絡したかったので、伝言板に書いていきました。
市役所から半径2キロ範囲内の避難所には行ってなかったので、
そこの確認も兼ねて歩きで行きました。
ガソリンがそろそろヤバイ状態になってたからです。

1時間以上かかって、また市役所に戻ってきた。
消防署のリストにも名前がありませんでした。
市役所の裏庭まできて、くたくたになった足脚と気持ちを休めるために
ちょっと腰を下ろしました。
妻は帰り道から泣いていました。
僕は耐えられなくなり、初めて声をあげて泣きました。
ほんとうに耐えられなくなりました。
あの惨状を見て、避難してなければ生きているわけがない


市役所のロビーに行くと、だいちゃん夫婦がいました。
落ち着いて閖上に行ったことを話ていきましたが、何度も声にならなくなりました。
だいちゃんたちも涙を浮かべて聞くしかなかったんだと思います。

「絶対に逃げてるいるよ」「可愛い孫の雅人がいるんだから」
「婆ちゃんを助ける暇がなくても、雅人と一緒に逃げてるよ」
「お父さんは大丈夫、大丈夫と言って逃げなかったとしても、お母さんは逃げてるよ」 

しばらく、そんなことを言い合いしていました。

僕の中に思ってはいけない、考えたらいけない思いが浮かんできました。
お義父さんに、何で逃げてくれなかったのですか
義弟にも、まして妻にも言えません。

だいちゃんと別れて、霞の目の駐屯地に向かいました。
だいちゃんたちは、確か避難所の再確認です。
駐屯地は近所なので、一度アパートに戻りました。
もしかしたら、部屋で待ってくれてたらと思ったのですが
妻は助手席で電話をかけ続けています。
市役所に貼りだしていた、病人が搬送された先が書いてあったので
電話して特徴を言って運ばれてないか確認してもらいました。
丁寧に応対してくれる人もいますが、個人情報の関係で答えられない、
病院に来て身分を明かしてじゃないと無理だともいう所もありました。
こちらの事情を言っても門前払い、面倒な受け答えも平然と言われました。

駐屯地について中に勝手に入っても大丈夫なのか、おっかない気持ちで門前の番をしている迷彩服の人に言うと、中に入って受付で言えばいいと言ってくれました。
体育館に避難している人たちがいるので、そこで聞いてもらえばと
丁寧に言ってくれて安心しました。
体育館に入ると事情を聴いてくれて、マイクで何度か紹介してくれました。
すごく親身にしてくれて、優しさで涙がこみ上げてきました。
駐屯地の病院に入院している人もいるのでと言って調べてきます。
他の部隊にも問い合わせしてみます。

と、本当にうれしくてうれしくて泣けてきました。
懸命に調べてくれましたが、足取りはありませんでした。
これでほとんどの望みが断たれた。

名取市役所に戻ってだいちゃんたちと再び合流した。
市役所からそれほど離れていない所の増田体育館に遺体安置所が出来たことを
知ったので、登録に行こうと僕から話を切り出しました。
もしも亡くなっていた場合、ずっと遺体が並んだままでは可哀想で
早く見つけてあげたいと言って説得しました。
体育館の前の保育所が受付けでしたので、そちらに入ると3組待ちでした。
順番が来るまで、妻は泣いていました。
ここはこどもの遊び場、ちっちゃい子の絵とかがいっぱいあるからです。
順番が来て、行方不明者の登録のため、特徴を書いていきました。
婆ちゃんの特徴はとなって、ようちゃんにも聞いて書きました。
それから、警察の人からの説明を聞きました。

・現時点では100名超の遺体が搬送されてる
・どんどんと運ばれてきているので、特徴と照らし合わせての確認、連絡ができない
・数日経ってから、見に来てほしい
・遺体はボランティアの方が丁寧に洗浄してくれているが、多すぎて綺麗に化粧とか
 できていない。棺桶じゃなくてビニール袋に入っている。

そのような説明だったと思います。
最後の項目だけ、二日後に見に行ったときに違っていました。

辛い登録を終えて、明日以降の話をしました。
明後日の15日に初めて遺体確認をしようと。
明日は、電話してない病院を手分けして連絡する。
ガソリンがないので、だいちゃんは並びにいくとのこと。
こっちのガソリンは、市役所の往復が2、3回ぐらいなので
明日はじっとしておくことにしました。
だいちゃんはガソリンが確保できたら、閖上に行ってみるとのことでした。
それだけ決めて、帰りました。
真っ暗な闇の闇の道を慎重に走って。。

長い、長い三日が終わりました。
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